2018.02.16 熱量。
仕事が忙しくて、練習試合どころか日頃の練習さえ観に行けず、なんのネタもありませんでした。悔し紛れに14日にホテル日航であった「2018シーズン チーム壮行会」に出かけてみました。

翌日の熊日によれば参加者は約260人だったとか。初めて参加した当方は、「案外少ないものだ」という印象だったのですが、例年来ている人によると、今年は多い。それも期待の表れだと。

それにしても、永田社長の挨拶も来賓の挨拶もそうでしたが、なによりスポンサーを代表しての平田機工さま(平田社長の文面を代読しながら)の挨拶と、マイナビさまの乾杯の際の激励が“熱かった”こと熱かったこと。一気に会場のボルテージを上げて、われわれ参加者も意気上がりました。

「熊本のためになにができるか」とか「どんなときもロアッソを愛し続けて」などという言葉(フレーズ)は、よくある業界や経済界パーティーのとおり一遍のご挨拶ではなかなか聞けない台詞。スポーツを支援(スポンサード)する会合ならではの雰囲気、と思った次第です。

というわけで歓談に移ったあとは、旧知の方々やスタッフ、特に首藤君の姿を探してご挨拶したりしましたが、一番の目的であった織田GMと少しだけお話しできたことが最大の成果でした(笑)。

就任のいきさつは、これまで伝聞ながら書いてきたことを裏付けるものでした。一番聞きたかった「なぜ熊本を選んでいただいたのか?」という当方の問いに対しては、「永田社長ほかの方々の熱意に打たれて」ということと、「広島の社長を務めたが、もう一度自分の大好きな強化の仕事をやりたかった」ということが大きかったのだと。その心意気。われわれにとっても、生涯においてどんな仕事人生を送るべきかということと重ね合わせずにはいられません。

社長退任というタイミングと、“縁”と“熱意”。この3つが相まって、この大物と熊本が結ばれることができたのですが、いやいや本人はそういうことを向けると恐縮至極で、とても腰の低い、物腰の柔らかい人でした。

来賓の挨拶にも端々に、今年は“結果”も問われるという言葉が聞かれました。「”奇跡的に”降格を免れたのだから」という厳しい表現も加わった叱咤激励・・・。

会場にまん延したそういった“熱量”を選手たちはどう受け止めたのでしょうか。あいにく選手たちとはあまり話しはできず。唯一、通りかかった池谷ジュニアに「点を決めてるね」と声をかけたばかり。受け答えの印象は、けっこうクレバーな青年だなと思いました。父親ゆずりかも知れません。

「開幕・山口戦は伺います!」。出口で見送るスタッフに、おもわずそう宣言してしまったのは、酔った勢いか会場の熱量のせいだったのか。開幕まであと2週間を切りました。

2017.12.28 年末ご挨拶
恒例により年末のご挨拶を申し上げます。

熊本地震に見舞われた昨年。逆境のなかで残留をつかみ取ったシーズンを終えた後の年末ご挨拶を読み返してみたら、「この震災を経験して熊本というクラブが間違いなくひとつランクアップしたのだということ。」と記していました。そのときは、これ以上の苦境はない(だろう)と思っていたのです。

しかし蓋を開けてみれば今シーズン、これほど勝てない試合が続くとは。清武の穴を埋めきれなかった選手補強が甘かったのかも知れない。開幕から怪我人続出でベストメンバーを組めなかったことも災いした。2度目のシーズン中の監督交代。そして、再び(いや三度)チームの指揮を執った池谷氏でしたが、浮上させることは叶わなかった。自動降格圏の21位に終わりましたが、幸運なめぐりあわせで降格を免れました。

ならば、この“幸運”を活かすしかない。

シーズン終了後、翌日の池谷氏の辞任の報には、クラブの行く末に不安が先立ちましたが、その後もたらされるニュースは、今のところわれわれを明るくさせるものばかりと言っていいでしょう。クラブもこの機に“脱皮”を図って第2形態に変わろうとしているかも知れない。この状況を見た北九州サポーターが「とにかくJ2に残ってさえいればいいことがある」とTwitter上でつぶやいていたのが、なんとも重く感じられました。

25日には、織田GMと渋谷新監督の記者会見が熊本市で開かれました。

永田代表が語った織田さんの就任要請の経緯は、ほぼわれわれが見聞きしたとおりのようです(熊本蹴球通信)。
織田さんのコメントを読むと、「アカデミーで育てるということももちろんですが、アカデミーに限ることなく、高卒や大卒の新卒の選手、あるいは他クラブで出場機会が得られていない若手の選手、もしかするともう一花咲かせたいと思っているベテランの選手、そういった選手達を我々のクラブでしっかり育成をして、そしてチームを作っていく」(公式)という方針のよう。

また、今シーズン大宮の監督を解任された渋谷監督は、降格圏内に終わった熊本に重ねて、「自分自身の悔しさもそうですけど、熊本さんの今年の結果の悔しさもとにかく晴らすために一緒になって戦いたい」と、就任の抱負を語りました(公式)。

新監督のチーム戦術は、大宮時代から志向していた「堅守多攻」を引き続き目指していくようで、「これから新しい選手なども来て、今までの選手だったらこうだなとイメージがあるので、そこをしっかりと積み上げていけるようにしたい」(公式・渋谷監督)と。

これまでDF高瀬優孝(大宮)、DF青木剛(鳥栖)を完全移籍での獲得。FW皆川佑介(広島)の期限付き移籍加入などがあった半面、三鬼海が山形に移籍するなど、選手人事も動きが大きくなってきました。

「年内は広島に籍がありますが、了解を得た上で、熊本さんの来季に向けた編成に加わらせていただいております」という織田GM。「渋谷監督に自信を持っておまかせできる編成にしたいと思っています」という言葉がなんとも頼もしい。

この正月は、いいシーズンを迎える初夢を見たいところですが、いや待て。自己紹介の場面で「魔法使いではございません」と言ったGM(熊本サポーターの流行語になりそう((笑))。われわれも一歩ずつのチーム改革を見届けていきたいと思います。

今年も弊ブログをご覧いただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

2017.12.17 新たな体制。
10日の朝刊でまず熊日が伝え、クラブからは11日、HPで公式に発表されました。今月12月末を持ってサンフレッチェ広島社長を退任する織田秀和氏のわがクラブのGM就任のニュース。いやぁ、すごい大物を引っ張ってきましたね。

前エントリーで書いたように、池谷氏に全てを依存してきたロアッソの創設期を知るわれわれの一番の心配は、「今後、サッカー界とのパイプがどうなるかということ」。その役割を誰が代わりに担うのかということでした。そんな心配のうえでの問いかけに対して、先に”池谷王国”と批判を口にしていたと書いた株主も、「いや大丈夫だから」と言っていましたが、その株主が今回の人事を察知していたとは思えず。とにかく少なくとも池谷氏”差配”の限界が、クラブ内で表面化してきているのだと感じさせたのは確かなだけで。そのあたりのニュアンスは、熊本蹴球通信で井芹さんがインタビューした「池谷友良監督/Last Messge」でも、池谷氏の言説の反証として感じさせられました。

そんな不安のなかにあったわれわれにもたらされたこのニュース。なんとも”大物”のGM就任。”サッカー界とのパイプ”という意味では、失礼ながら池谷―飯田ライン以上のものかも知れない。みなさんもそうでしょうが、経歴を見てすぐピンときたのは、筑波閥。熊本にゆかりのあるあの協会会長の線ということでしたが、それにしてもよくこのタイミングで”空いた”ものだと。今季最後のクラブ社長会議の際に、こっそりチェアマンが永田社長に「こんな人が空くよ」と耳打ちしてくれたときには、もう接触を始めたあとだったと聞きますから、わがフロントもなかなかのものです。

その手腕は、経歴から推して知るべし、ということでしょう。われわれはなにより公式サイトで発表されたコメント、「熊本の皆様の宝であるロアッソ熊本の」という出だしの言葉に、心を鷲づかみにされました。そして、「とはいえ、前シーズンを降格圏内の順位で終えたチームをいきなり優勝争いに導くような魔法はございません」という部分を多くのメディアが取り上げたように、その表現は、この人が、このクラブ、このチームと真摯にそして腰を据えて向き合ってくれることを強く印象付けるものでした。

そして14日には、渋谷洋樹監督の就任発表。

正直言って、渋谷新監督の力量については、われわれはよくわかりません。この新監督人事も、筑波ラインで予想していたわれわれからは、全く枠外、予想外からの人選でした。ただ、清川監督辞任の際にも名前が挙がっていたそうですね、ただ、その際は丁度大宮を解雇されたタイミングで、印象が悪いだろうと敬遠されたとも聞きます。これもまた、熊本蹴球通信の「大宮担当記者に聞く「渋谷洋樹監督ってどんな人?」が非常に参考になりますが、これを読む限りは、オーソドックスな戦術をベースに、やはり保有選手の能力次第で色(強み)を加えていく方法論なのか。ただ、公式サイトのコメントからは熱い人柄が伝わってきます。大宮の選手からもサポーターからも愛されていた熱血指揮官には間違いないようですから、うちの選手たちに与える影響が非常に楽しみです。

さらに、16日には、ユニフォームの胸スポンサーに平田機工株式会社が着くことが発表されました。これもまたビッグニュース。ただ、これは決してこれまでの高橋酒造が撤退する代わりということではなく、それ以上のスポンサー料をもって入れ替わるということ。クラブは同日、高橋酒造に対しても「今回の申し入れを熊本のための高い志と広いお気持ちを持って受け入れていただき、引き続き変わらぬご支援をいただけることになりました。重ねて厚く御礼申し上げます」とHPで感謝の意を示し、高橋酒造は同じく「ロアッソ熊本への今後の支援につきまして」というページで、「平田機工様であれば、これからロアッソ熊本が目指す高いステージにふさわしいスポンサーと思いますし、熊本にとっても喜ばしいこと」「弊社は今後も、スポンサーの1社として、ロアッソ熊本を支えていくことには変わりはございません」と表明されました。

いや、このことは熊本にとって、平田機工が地元企業として決意してくれたことという画期的なことに留まらず、クラブ創設以来、長きにわたり支援の柱としての役割を続けていただいた高橋酒造が、快くその場を譲ったという意味において、クラブの歴史においてもエポックメイキングな出来事なのだという気がしています。かねてより、その経営陣の人柄やビジョンの涼しさに定評のある平田機工の英断はもちろんですが、大義のためには自ら一歩退いても、という高橋酒造の器の大きさもあってこそという感じがしています。こんなスポンサーの気概に恵まれたクラブもそうそうない。

ポジティブな、明るいニュースが続いています。それはこの際、生まれ変わらなければいけないというクラブやサポーターやスポンサーなどの”決意”に沿うように。しかし、これはわれわれがこれまで想定していたようなイメージからも大きく飛躍する、ダイナミックな変化であり。クラブにとっては、まるで、血を入れ替えるような大きな変革かも知れません。ただしかし、その血の色は”赤い”。それだけは変わらないロアッソ熊本の事実でしょう。

いつかはこんな日が来るだろうと思っていましたが、まさかこんな形で池谷氏が熊本を去ることになるとは思ってもいませんでした。ただ、6月の監督就任時の、「前回の”監督代行”のときとは違う」という永田会長の言葉や、「覚悟を持って」という池谷氏の決意を思い出すと、最終節のあの最悪な結末。もしかしたらと思わないでもなかった。

井芹さんの熊本蹴球通信に、永田会長の会見の全文が書き起こしてありますが、それによると池谷氏から辞任の申し出があったのは、大分戦当日の夜だという。しかし、「先月の末ぐらいから、彼とは週に1、2回ずつ、ずっと2人きりで話をしており」(永田会長)、「『潮時かな』という感じで」と言いますから、クラブとしてもこの熊本にとっての”貢献者を切る”場面は、実に阿吽の呼吸を必要としたのではないでしょうか。解任ではなく辞任。最低限の名誉は保たれた。

池谷氏が監督として招聘されたのは2004年。ただ、当時熊本にはJリーグチームを作るための「県民運動推進本部」という名の”ビジョン”が存在するだけで、選手どころかスタッフさえも満足にはおらず。プロチームあるいはプロクラブがどうあるべきで、何が必要か。そういったことを知る人材は、熊本にはひとりもいないような状況でした。「騙されたと思った(笑)」といつか池谷氏が言っていましたが、監督に専念するどころか、そういった一つひとつのことから、池谷氏にゆだねられたのです。

ロッソが出来て、それから現在のロアッソに至る歴史をここで今更書きませんが、JFLの初年度にJリーグに”昇格”できなかった時が、今思えば一番の危機でしたね。ファン、サポーターに留まらず県民全体からバッシングを受けた池谷氏。「もう帰ろうかとも思った」とあとで言います。あの頃、ホームチームやクラブは”与えられる”ものではないんだ。クラブと言っても、中身はまだ”スカスカ”なのに。もっとチームを、クラブを後押しして、擁護していかなければ…という思いが、こんな稚拙なブログを始めるきっかけでもありました。

昇格したあとも、クラブ作りに関しては、毎年毎年、足りないピースを埋めるような作業を必要としてきた。逆にいえばそこに関してもクラブは池谷氏の手腕に期待するしかなかった。当然、彼個人のサッカー界での経験や知己に頼らざるを得ない状況が続きました。

そこには色々な意味で”限界”も出てきたでしょうね。当時からの事情をよく知る熊日の上妻記者が、21日付の記事で「時には”池谷商店”とやゆされることもあった」と書いていますが、われわれの知る株主のひとりも、”池谷王国”と酷評していましたし、永田会長の会見でも「『このままじゃ大変なことになるぞ』という方もいらっしゃいました」と証言しています。

J2に入ってからの10年間の総括や、クラブとしての問題点を記者に問われて、「皆さんがご覧になってきているように、ちょっとマンネリ化しているんじゃないのか、とかですね、慣れが出ているんじゃないのかとか、本当の意味での戦う厳しさ、そういうものがちょっと薄れているんじゃないのかとか」感じていたと応えた永田会長。「(池谷氏も)勇退の時期ということを、10年目の区切りということもシーズン前から思っていたみたいです」と言う。

われわれが今心配しているのは、今後サッカー界とのパイプがどうなるかということです。まさしく次の監督は誰を呼べるのか。強化責任者は誰になるのか。全てのことを池谷氏に依存してきただけに、どうなるのか全く想像できない。池谷氏の”覚悟”も察知し、「1ヶ月ほど前から、こういうことももしかしたら想定されるかもしれないということを予感して」「何人かの方がリストアップされて」いたと永田会長は言う。しかし「リストアップはできているけれど、具体的な交渉には至っていない」というのが先週の時点でした。

監督が決まらなければ、強化責任者不在の今、選手の去就も定まらない。チーム作りが完全に出遅れ、来シーズンが見通せないこと。今の熊本は大きな試練にさらされています。

ただ、先の熊日の記事が「池谷氏がいなくなる今後、ここまで築いたものをさらに発展させることができるかは、クラブを取り巻くすべての人々に問われている」と結ばれているように、すべての人々、われわれファン、サポーター、スポンサー企業、行政にも、これを節目に、更にクラブを、チームを発展させることに何ができるかを問うことが、求められているのだと思います。

最後に、われわれからは池谷氏に、このエントリーを捧げます。2010年、柏がJ2に落ちてきて、水前寺で戦ったときのエントリー。当時はGMでした。

池谷GMが熊本に請われて赴任する際に、柏のクラブ幹部から「そこ(熊本)に“サッカー”はあるのか?」と問われたのだと言 います。もしかしたら、その時、GMは答えに窮したかもしれません。しかし、5年余りが経った今日なら、きっと、黄色のサポーターを取り囲むようにぎっしりと詰まった赤いスタジアムを指差しながら、胸を張って答えてくれたことでしょう。「もちろん。ここはサッカーがある街です」と。2010.04.25 柏戦。力の尺度

池谷さん。あなたが育ててくれたチーム、そしてわれわれファン、サポーターもあなたに育ててもらった。クラブ創設以来の試練の時ですが、この“サッカーのある街、熊本”のみんなで乗り切っていきたいと思います。熊本に来てくれて本当にありがとうございました。そして13年間お疲れ様でした。

皆さんご無事でしょうか?

5年前の3月。東北大震災の際のエントリーで、「“未曾有”などという3文字で表現することすらもはや憚られます。11日からこのかた、報道で目にする被災の状況を目の当たりにして、何を綴ればいいのか戸惑っていました。ただただ、われわれは運がよかっただけではないのか、そしてわれわれに出来うることの何と小さいことかと…。」と綴っていました。そこには、今にして思えば、同じ日本といえどまだ少し遠い世界の感覚だったことが漂います。”報道で目にする”という表現がそれを明らかにします。

けれど今、被災地はテレビ画面を通さずとも目の前にあり、われわれがまさしく被災者そのものでした。

われわれのなかのひとりの住まいは益城町にありますが、自宅別棟が全壊、周囲の家々も軒並み壊滅状態。お隣では亡くなった方も。なんとか自宅で踏ん張っていますが、このストレスはなかなかのものです。

16日の”本震”の夜から今日まで休みなしで、余震を気にしながら、家のこともしながら余裕もなく動き、そして働いて・・・。キーボードに向かう余裕も気力もなかったのが現実ですが、ようやく今日、PCに向き合っています。ライフラインに携わる人々の不断の努力のおかげで水や電気が早期に復旧し、quality of lifeが明らかに現状復帰してきたことも大きな要因です。感謝の言葉もありません。

この間、まず直近のアウェー京都戦は中止され、そして先週末のホーム・横浜FC戦も延期が決定されたのは、当然の措置でした。

そして20日、クラブはJリーグの原博実副理事長の現地視察を受け、さらに監督・選手らを交えたミーティングの結果を踏まえて、今後の方針を発表しました。その内容は、続く4月29日の山形戦、5月3日の愛媛戦、7日の札幌戦まで追加3試合の延期であり、リーグ戦復帰は5月15日の第13節・アウェー千葉戦から、とするものでした。

そしてその間、リーグからは一時的に県外に拠点を移すことも提案され、具体的に候補として手を挙げてくれたところもあったようですが、「選手だけの話し合いで、『熊本に残って参戦を続けたい』と決め」(22日付・熊日)、それをクラブも、リーグ(原副理事長)も尊重する形で決定したのだという。

発表の記者会見は感動的なものになりました。熊本の”象徴”とも言える巻は、感極まり涙を流しながら「熊本に勇気を与えたいし、逆に勇気づけられることもある。互いに励ましあって、今まで以上の熊本をみんなの力でつくっていきたい」(熊日)と言いました。そうまとめたものの、おそらく直前の選手だけのミーティングでは、色々な意見が出たのではないでしょうか。家族持ちの選手ならなおさら、生活安全上の不安があって当然の状況ですから。そういった選手たちの色々な意見を、40分もかけて、このようなひとつの方向に導いた想いの辛さも、巻選手にのしかかっての涙だったのではないかと推測するのです。

震災後すかさず、個人的に開設しているフットサル施設を開放して、避難所の子供たちとサッカーで戯れ、子供たちに起こりがちな避難所ストレスの解消に務めました。個人的なネットワークを駆使して、被災地への支援を求めるサイトを直ちに立ち上げた。支援物品を集め、それを仲間たちと仕分けする姿は精力的でした。今まさにこの状況下において、心から愛する熊本を”今まで以上”にしようとする姿は、熊本というチーム(あるいはクラブと言ってもいいかも)の”中心的存在””象徴的存在”のように思います。

もちろん巻だけではない。清武は実家のある大分に帰らず熊本に残り、同じくサッカー教室やボランティア活動に従事してくれている。被害の酷い益城町出身の上村や森川は、地元のボランティアを買って出ている。広島に一時避難した佐藤は、この決定を聞いて、幼い子供を抱えた妻を残して、熊本に飛び立った。

Jリーグの仲間たちもすぐに動き始めてくれています。各クラブ、各ゲームでの支援募金集め。そのなかでも、県出身選手たちの思いは大きい。それから、過去熊本に在籍した選手たちの活動協力も・・・。

そして一番ありがたく、そして温かく励みになるのは、J1、J2、あるいはJ3、いやその他のカテゴリー問わず、戦い、敵対し、あるときは罵倒しあうに違いないのに、”いざ”というときは支えあう。このサッカーという競技を愛し、通じ合う各クラブのサポーターたちから今、「熊本がんばれよ」と応援される。涙がでるほど嬉しい。これもサッカーだなと。

まだまだ余震の続く熊本。アウェー戦からとはいえ、5月15日の再始動にもなんの確証もない。支援物補給基地になっている「うまスタ」が、その時期に作業が終息し、ホームスタジアムとして使えるかどうかは、極めて怪しいとも思っています。しかし、どこかに目標を持たなくてはいけない。誰かが言いました。「最善を想像して、最悪に備えろ」と。

そういう意味で、ひとつの指針が出されたのだと思っています。われわれは、その再開(再会)のときに、スタジアムで久しぶりに逢う仲間たちに、「元気だったか?無事でよかったね」と言えるように、一人ひとりそれぞれの復旧に励んでいきましょうか。巻選手が言う”今まで以上の熊本”を互いの目標にしながら・・・。

そしてそして、くれぐれも余震にご注意ください。油断は禁物です。