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寝ぼけまなこで新聞を取りに行ったら、「藤田、ロアッソ入り」の大見出し。確かに噂はあったのですが、“あの”藤田俊哉が本当に熊本に来る。いっぺんで目が覚めましたが、何だか逆にまだ夢を見ているような感じもして・・・。

ちょっと前のサッカー・マガジン(2008年11月11日号)に、引退した名波浩のインタビューが掲載されていました。何気なく読んでいたそのなかで、聞き手の増島みどりに自身のキャリアの中での“ベストマッチ”は、と問われて彼が答えたのが、「2001年4月7日の対鹿島戦(国立)」でした。実はこの試合、その翌日に行われるアルエット熊本のJFL初アウェー戦、対静岡産業大学戦を応援するためわれわれも上京しており、そのついでに(まったく偶然にも)国立で観戦していたことを思い出し、思わず引き込まれるように読んでしまいました。

増島みどりはこう書いています。
「ボランチに服部年宏、福西崇史。攻撃的MFに藤田俊哉、奥大介。この4人がボックス型となって相手の中盤をターゲットにボールを奪う。何とも豪華な顔ぶれによる箱の中にはレフティー(名波浩)が仕込まれている。攻守その両方において、ボックスと中央の名波が連動する。創造性に満ちあふれた“おもちゃ箱”は、別名“N-BOX”」。

『サッカーをずっとやってきて、あれほど連動性を感じた試合はなかった』『鹿島と戦っていながら、レアルに勝つには、とみんなが思って走り回っているのがよく分かる。異次元とでもいうか、今やるのは絶対に無理だろうなと思う』。名波自身は、当時の様子をそう語っていっています。

トップ下の真ん中にテクニックのある“司令塔”が陣取り、試合のタクトを振るのが主流だった当時、この日観た磐田の中盤は鮮烈でした。名波ひとりに依存しない激しいポジションチェンジ。運動量とパス回しで切り裂く、あるいは攻守の切り替えスピードも早い。ハードワークを厭わない“ボックス型の中盤”という現代サッカーの原型が、すでにこのとき磐田に存在していたと言えるのではないでしょうか。

奥は2007シーズン終了後に引退。名波も2008シーズン限りで退き、磐田で指導者を目指す決意のようです。こんな中盤が存在したこと自体が伝説に近いものですね。そしてそのN-BOXの一角を占めたあの藤田俊哉が“われわれのチーム”の一員になるのです。

年齢からいえば、51試合はもちろん、おそらく90分フル出場も厳しいというのが客観情勢なのかも知れません。試合の流れのなかで、攻撃的オプションとしての起用になるのでしょうか。しかし、彼の加入は間違いなくロアッソのサッカーを次のステップに導いてくれることと思います。若いアグレッシブな中盤に、さらに攻撃的な、戦術的な深みを加えることになるでしょう。それは北野新監督が今期の目標として掲げている“残り4分の1の崩し”という課題に対し、最適の補強のひとつと考えられるのではないでしょうか。

J1のトップチームでの長年の実戦経験はもちろん、日本代表として、あるいは海外でも修羅場をくぐったその経験値は、若返った“赤い戦士たち”に対して貴重なコーチングを与えてくれることと思います。とくにMF陣においては“化学反応”ともいえるような技術的、精神的な影響、変化を期待したいと思います。

先の2001年のシーズン。1stステージは磐田、2ndステージは鹿島が優勝しました。まさにJリーグ最高峰の対戦と、JFL初陣のわがホームチームの試合を間近に観た日。それが10年近い年月を経て、こんなかたちで結びつくとは。なんというめぐり合わせかと・・・。

そもそも神城文化の森・藤田社長が、自分と同姓の選手獲得にこだわって…、という逸話でかなり有名になってしまいました。しかし、そんな冗談のような話から始まったとはいえ、この“運と縁”、大切にしたい。

自身のブログでも、既にコーチライセンスの取得を目指し勉強を始めた様子が伺える藤田。妻子を置いて単身赴任を続けてまでも、プロとして“現役”にこだわる姿勢と、競技経験者として“Jチーム監督”を目指す夢が混在しているのでしょうか。4年後を目指す熊本のJ1昇格。そのときの指揮官がもし藤田だとしたら…。ヤマハスタジアムで監督名波が率いる磐田との対戦というとんでもない“めぐりあわせ”もあるかも知れない。そんな夢さえも抱かせてくれる大きな移籍です。