先週末は、水前寺での福岡とのテストマッチを観に行ってきました。「九州だJ!」東日本大震災被災地支援活動として行われた練習試合です。スタンドはメイン側だけ開放され、“青い”サポーターとも隣同士で座り、45分×4本、合計2試合分もの“サッカー三昧”。天気にも恵まれ、初夏の陽気の土曜日の午後。こんないい意味での“まったり感”も久しぶり。ほんの少しだけ、サッカーが日常に帰ってきた感じがしました。被災地支援活動のTMの際には、少額で申し訳ないと思いつつも、毎回いくばくかの義援金に協力させていただいていますが、その瞬間はやはり、今なお続く被災地の困難を想い、非日常を感じざるを得ません。そしてこの日は、募金箱を持って立つ加藤選手の“意志のある”眼差しの前に、思わず立ち止まって声を掛けました。

さて、試合の方は、決定機を外しまくる、あるいはアタッキングサードで連係にミスが出る熊本に対して、数少ないチャンスをしっかりモノにしてみせた福岡の辛勝というところでしょうか。福岡の出来も厳しいJ1リーグでの戦いを思えば心配されますが、わが熊本もまだまだ発展途上というところ。特に「守備からリズムを作って」行こうとする熊本のスタイルに対し、福岡がそこに狙いを定めて寸断していたような印象でした。収穫だったのは、3本目以降に入った選手たちのうち、吉井や新加入の田中、片山朗、ボランチに上がったときの加藤、果てはユースの選手らしいCBに入った5番の選手など、公式試合にいつ絡んでもおかしくないパフォーマンスを見せてくれたことでしょうか。この予期せぬ長い中断期間は、故障者や控えの選手層にとっては、与えられた好機とも言えるかも知れません。


いささか旧聞過ぎますが、3月末には日本代表とJリーグ選抜のチャリティマッチが行われ、カズのゴールがドラマに花を添えました。この劇的なシーンを前にして、かの有名な日曜日午前のワイドショーで、プロ野球・名球会にも名を連ねる某解説者が「八百長疑惑」の発言をしたといいます。カズのあのゴールまでに至る局面、あのプレイシーンを持って「ヤラセ」と疑うことすらサッカーというスポーツに関し無知すぎるにも程がありますが、「八百長」という言葉を匂わせることで、自らが身を粉にして人生を費やしたであろう日本プロ野球という世界の“価値観”自体を、「語るに落ちた」情けないものに感じさせてしまいます。リーグ開幕の時期に関して文科省や世論とのはざ間ですったもんだした球界に身を置く者のストレスが根底にあったのかと深読みもできますが、公共の電波に載せるには、あまりにもお粗末なコメント。多くの野球人(特に選手たちに関しては)が、この時期、スポーツマンとしての立場から、この大惨事に際して自分達が何をすべきかに思いを巡らし、活動していることからすれば、こんなことで野球界全体を責める気にはなりませんが…。

4月2日付の熊日・夕刊に書かれたスポーツライター・玉木正之氏の「スポーツの意義~震災が問う存在の形態」に興味深い一節がありました。

「欧州のサッカーやJリーグ、米国のメジャーやマイナーリーグの野球のように、チーム(クラブ)がホームタウンやフランチャイズ都市と強いつながりを持つスポーツは、地域社会の『日常生活』を離れてスポーツが存在することなど考えられない。」 
「従って天災などで地域社会がダメージを受けると、クラブやリーグは地域社会と同様、まずはスポーツ活動より地域社会の日常生活を取り戻す活動に取り組むことになる。そして地域社会の復興と足並みをそろえ、ある時点で住民と喜びを共にするなかで、スポーツ復興の日を迎えることになる。あるいは日常生活が少々不自由でも、地域社会の支援と要望で、スポーツが一足先に復活することもあるだろう。」
「しかし地域社会よりも親会社との関係が強い日本のプロ野球は『企業スポーツ』の色合いが濃い。セ・リーグが開幕日に苦慮したのも『日常』が確立しないと『非日常』が成立しないというスポーツの本質と、一日も早く利益をあげたい『企業スポーツ』の論理とのはざまで悩んだ結果といえる。」

まさしく「興行」と「地域主義」との差異。「非日常」と「ホームチームの試合がある日常」という文化の違いではないかと思いました。そして、そんなことをこの大震災によって痛感させられるとは想いもよりませんでした。


われわれのリーグは今月の23日に再開が決定し、熊本はKKウィングにFC岐阜を迎えることになりました。3月6日の開幕戦からすれば、実に1ヵ月以上、7週間ぶりの公式戦。開幕戦に照準を合わせてきた全ての準備も一度チャラに戻さなければならなかっただろうし、再開の見えない中断期には、モチベーションを維持することさえ難しい話しだったでしょう。わがチームだけでなく、誰もがこんな状況は全く初めての経験です。4月23日に改めて照準を合わせなおし、モチベーションとコンディションを作り直す作業。これはもう“再・開幕戦”とも言うべきものでしょう。

しかし、この仕切り直しもクラブやわれわれファンにとって、決して意味のないものではありません。被災地を想えば、震災前と同じ状況では決してないにしても、未曾有の災害からほんの少しづつですが「日常」を手に入れつつある。そこにJリーグが再開されることで、また、ひとつの「日常」が帰ってくる。サッカーファンならずとも、こうやってこの世の中に、“勇気”と“平穏”が戻ってくればいいなと思いました。

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