2014.12.30 年末ご挨拶
2014年も暮れようとしています。恒例により年末のご挨拶をさせていただきます。

しかし、まさにこの時期、クラブもチームも人事真っ盛りで落ち着かない状況。これに関しては、年明けにでも改めてエントリーさせていただきたいと思います。

今年もこの拙ブログをご愛読いただき誠にありがとうございました。

毎年同じような言い訳をしていますが、今シーズンも青色吐息、息も絶え絶えでなんとか毎試合後エントリーしたというのが実感です。特に9月の22節から23節、24節のリーグ過密日程の頃は、ちょうど父の葬儀とも重なり、試合を観ることさえ危うい状況でした。

そんな事情は原稿にも影響するのでしょうか。「今日は文章に迫力が無い様に感じました。」という叱咤をいただいた日もありました(汗)。

さて2014シーズンのわがチームについては、前々エントリーで総括させていただいたつもりですが、追加で書くとすれば、クラブ経営の視点から大きな出来事があったことでしょう。

第16節5月31日のホーム富山戦。後半27分、橋本拳人に代えて出場した上村周平。熊本ではじめて下部組織からの選手がJ公式戦のピッチに立った瞬間でした。そのときのエントリーでは「われわれは、決して大げさではなく、チームの歴史に新たな、大きな一章が書き加えられたと感じました。全くゼロの何もないところからスタートした下部育成組織。選手本人の努力はもとより、関係の方々のご苦労に心からの敬意を申し上げます。」と書きました。

この後、第37節10月19日のホーム磐田戦では同じく嶋田慎太郎がJ初先発で続きました。嶋田は11月9日のホーム最終戦(対愛媛FC)ではJ初得点をあげ戦力として十分に通用することを証明しました。

地域密着の県民クラブとして育成型を志向するというのは理解できるのですが、それを鮮やかに目に見えるかたちで方向性を示してくれました。まさに快挙。これが今年わがクラブのトピックスなのは間違いないでしょう。

さて、それと同時にチームを去っていく選手たちへの思いも格別なものがあります。昨年の年末ご挨拶では福王について書かせていただきました。今年は、この二人に触れざるを得ないでしょう。引退する吉井と原田。

吉井が熊本に加入したのは2006年の10月。まだロッソと名乗っていたころの熊本。1年でのJFL突破を目指して奮闘している頃でした。湘南からの完全移籍。吉井は試合に絡むものの、しかしチームは4位に終わりJ2入りを逃す。そのとき吉井は、もうサッカーは辞めようかと思っていたのだといいます。このあたりの心境について吉井は(井芹さん運営の)「Kumamoto Football Journal」で次のように語っています。そこにあるリアリティ。

「給料も下がってやっていけないような感じだったし、親にも相談して。電話でしたけど、『鹿児島に帰って、ヴォルカででもサッカーしながら働こうかな』って。そしたら父親が、『もし鹿児島に帰ってきて働くのなら、もうサッカーはするな』『帰ってくるんだったらちゃんと働け、でもサッカーを続けたいなら、サポートしてやるから続けろ』って。そのひと言がなければ、僕はもしかしたら、今まで選手としてやってこれなかったんじゃないかと思う。だからJ2に上がれた時は、本当にね、嬉しかったんです」

熊本は吉井をJ2に上げました。

原田選手も思い入れが深い選手です。彼が加入したのは2009年。川崎を満了になってからの熊本移籍。しかしその加入はシーズン開幕をまたぎ、4月の札幌戦まで待たなくてなりませんでした。その間はずっと練習生。その事情は、先日22日のRKKラジオ「VIVA ROASOO RADIO」での彼の告白で推測するしかありませんでしたが。

「練習生としての受け入れもまだちょっと待って欲しいといわれた」「その間、大津高校のグラウンドで高校生相手に調整した」などという事情も明らかになりました。2009年の頃のクラブのありよう。先のエントリーで書いたとおり、選手人件費も含めて、どの程度の管理体制にあったのか。それが原田の練習生受け入れに影響していなかったのか、など。

そして、はたして原田拓は練習生から選手登録される。しかし、この年の契約は、ベース給与なしの、出場給だけだったという驚くような噂を耳にしたおぼえがあります。

それは原田に対する消極的な評価ということではなく、それほどに厳しいクラブの状況だったのかということ。現に原田はその年から主力として活躍。彼が左SBで初出場した札幌戦のエントリーでわれわれはこう書いています。

「一昨日に加入が発表されたばかりでの今日の先発出場でした。後半途中からはちょっと息があがっているようにも見え、コンディション的にはまだまだのような印象を受けましたが、その能力の高さは十分に見せてくれました。なにより上体を起こした美しい立ち姿が、視野の広さを裏付けています。サイドを駆け上がったり、敵陣奥深くまで切り裂くといったプレーではなく、左サイドからのアーリークロスや大きなサイドチェンジ、あるいは前線へのロングパス、流れに変化をつけるちょっとしたプレーぶりなどなど。それは、長くボランチをやっていたから。しかしこの特性、今期のロアッソの戦術面では、左SBに置いておいても面白い、攻守の新たな“起点”になる選手だと感じさせました。」(2009.04.06 完封! ホーム初勝利。札幌戦

当時の経営陣の能力はいかほどだったのかという思いとともに、それに屈せず、ここまで熊本を支えてくれたプレーに対して頭が下がります。

そんな熊本の時代の苦労人2人が今年引退する。そして熊本出身の矢野がまたその列に加わりました。

熊本の礎になり、草創期の歴史を彩った選手たち。決してわれわれは忘れない。いや忘れてはいけないでしょう。

そんな気持ちを持って、

2014年の年の瀬。彼らの引退とともに、熊本もまた新たな時代に進んでいくのでしょう。ありがとう。お疲れ様でした。

TrackBackURL
→http://sckumamoto.blog79.fc2.com/tb.php/495-832934e6