怒涛のようなこの数年。いろんなことが起こり、今もまさにそういう渦中にいるのですが...。

2001年にスタートした旧サカくまのトップページに「いつの日か熊本にもJリーグチームを」と刻んだときは、わずか7年後にそれが実現するとは正直思ってもいませんでした。遙か将来、自分たちがホントの爺さんになる頃までには、誰か実現してくれよ、みたいな。当時はそれほど遠い、壮大なプロジェクト・・・。

そんな”夢”が”正夢”に変わった今、ここで一度、昇格までのプロセスを振り返りながら、「なぜ、短期間に、ここまでくることができたのか」ということについて落ち着いて考えてみたいと思いました。

ひとつは、自分たちには先例を示してくれた新潟や草津、愛媛というモデルがありました。それなら自分たちも、自らの軌跡をしっかりと整理しておく必要があるのではないかと。ちょっと僭越ですが、この熊本の経験をひとつのケーススタディとして整理し、記しておく必要があるんではないかと。それが、われわれウォッチャーの役目ではないかと思ったからです。最近、J昇格の感激にまかせて、いささか感傷的なエントリーを続けてしまったことでもありますし・・・。

まず、これまでの流れを簡単におさらいしておきます。その上でわれわれがその当時知りえたメモをたよりに検証した結果、”熊本モデル”のいくつかの成功へのキーが浮かび上がってきました。
(時系列的な経過についてはWikipediaでも詳しく紹介されていますね。)

年表
▽2001(平成13)
アルエット熊本 JFL昇格 リーグ成績8位

▽2002(平成14)
アルエット熊本 JFL17位(九州リーグ降格)

▽2003(平成15)
アルエット熊本 九州リーグ 5位 
県民運動情報連絡会議(9月)

▽2004(平成16)
アルエット熊本 九州リーグ 4位
県民運動推進本部 事務所開設(4月)
県民運動推進本部 協賛企業説明会(11月)
AC熊本発起人総会(12月)

▽2005(平成17)
ロッソ熊本  九州リーグ 優勝、
地域決勝大会3位(JFL昇格)

▽2006(平成18)
ロッソ熊本    JFL5位

▽2007(平成19)
ロッソ熊本    JFL2位(J2昇格条件クリア)


その1…“正しい”枠組み
まず、チームがここまで来れたのには大きく2つの理由があると考えています。

ひとつは、チームが“正しい”枠組み(良い“スキーム”と言うべきか)のもとでスタートできたこと。そのなかでも、次の3点がとくに重要だった気がします。

①“既存型”でスタートできたこと  
一般的なことですが、Jを目指す場合のスタートとしては、ここで言う“既存型”(すでにその地域に存在するいずれか上位カテゴリーチームの枠組みからスタートする)、“誘致型”(他地域のチームを誘致=買収してスタートする)、“新規型”(まったくゼロからチームを作り、県リーグからスタートする)といったことになります。しかし、誘致型、新規型では莫大なお金がかかる、あるいは時間がかかるなど、当時の熊本の実情では全く現実的ではありませんでした。

そのとき熊本で最上位のカテゴリーにあるのはアルエットでした。アルエットはJFL昇格時の完全なNTT企業チームから、その後の歴史的なリストラのなかで、徐々に“半企業、半クラブ”的なチームへ、そして最終的には、ほぼ(アマチュア)クラブチームへと変化していきました。クラブチームと言っても、母体であったNTT九州やドコモ九州ほかの強い人的なつながり、バックアップを支えにしてなんとか生き残ったわけです。いくつかの地元企業が選手を雇用するなど、NTT以外の支援の動きもわずかですが見えはじめていました。

この“既存型”でのプロジェクト推進も正確に言えば、アルエットの存在と経験があったから、その限界に気づいたからこそ、この動きが生まれたといえます。当時は「乗っ取られた」と表現される方もありました。気持ちはわかります。その間の経緯は複雑で、当事者の様々な思いは知るすべもありません。いろんな思いが交錯していたと思います。

アルエットはJFL1年目にNTTつながりで大宮からレンタルした金川、田中等の補強の効果もあって上位の力を示したものの、2シーズン目は大宮から解雇された二人を確保する財力もなく、戦力が整わないまま、結果降格となりました。九州リーグではさらに財政的な厳しさが増し、遠征費もままならないような状況もあり、いわばタイムリミット寸前だった・・・。

九州リーグ1シーズン目の終盤、主力の社員選手が相次いで引退を示唆するなか、必死の説得があったと聞いています。あと一年頼むと。あと一年でなんとか”道筋”をつけるからと・・・。それが熊本のJへのプロジェクトでした。
そして、九州リーグ2シーズン目をなんとか乗り切ることができた。”既存型”で行くために、ベースを維持するために、まさに夢をつないでくれた人たちがいたということです。

②プロ化、法人化、ビジネスとしてのサッカー、が明確にされていたこと。
わかりやすく言えば“昼間に練習しないとダメだ”という苦い経験があったということです。サッカーで給料を出して、サッカーに専念しないと戦えない、“プロ”でなければやっていけないということが、当初から明確にされていて、そのためのビジネスモデルが組み立てられていった。営業ベースで運営資金が確保でき、設立当初から収支の伴った法人化ができたということ。ただ、このことは次の“県民運動”なしではなりえなかったことでもあります。

③「くまもとにJリーグチームを」県民運動の立ち上げ
法人化を可能にしたものは何か? と言えば、“県民運動”の存在ということになるでしょう。今もあまり状況は変わっていませんが、当時、熊本に漂っていた閉塞感、停滞感や、肥後の引き倒しといわれる“ネガティブ”な県民性。これをなんとか打破したい。このままでは熊本はダメだ。熊本にもこんなことができるんだと言うモデル(成功例)を作りたい。こんな、どちらかと言えば地元経済界“有志”の、心底の思いが運動という形で法人化(人的、財政的な裏づけ)を突き動かしていったんだと思います。

しかし実際、この他県あるいは前例モデルでも例をみない”県民運動”とは、なんだったんでしょう。先日の熊日の連載にも、ある自治体関係者の言葉として「本来なら一企業に行政がこんなに肩入れすることはない。ロッソが『県民運動』の旗印だから支援している」と発言しているように、厳然としてそれは生きています。この大義名分が最初の企業協賛セールスシートの“殺し文句”だったのは間違いありません。

それは熊本の人々の心に火を着けるような、”気持ち”の枠組みというようなもの。突き詰めていけば“名簿”ですね。県政、市政、経済界のトップ、若手経営者の面々などなど。そしてそこに名を連ねたすべての人たちの思いが県民運動の実体。古めかしい言い方をすれば、“連判状”とか、“血判状”とかいうようなものではないかと・・・。

この気持ちの切実さ、純粋さと迫力が、地域リーグレベルで何の実績もないチームに1億5千万円という資金をもたらし、さらに自治体をも動かした。もちろんこれも、気迫をもって奔走した人たちがいたからこそ実ったものであることは言うまでもありません。

さて、この“熊本モデル”の一番の特徴といえる県民運動。ある意味でまだまだ大義名分であって、基盤は本当に脆弱。これから本当の意味で県民として大事に育てていく、支えていくことになるのかと思います。逆に今、県民運動、県民チームという言葉の本質が見失われ、一人歩きしているような状況も見受けられ、ちょっと心配です。安易に振りかざす言葉では決してないのに・・・。

Jリーグ側の視点…“枠組み重視”
11月5日に行われたJリーグのヒアリングでも、行政の資本参加が求められるなど、Jリーグ側はチームの“資金力”や“運営力”へのチェックをより厳しくしている印象です。今シーズンからJへの成績条件が緩和されました。われわれは、そのタイミングといい、Jリーグはロッソを“贔屓”してくれているのではと思っています。そしてそれは何より、成績・チーム力というある意味結果的なものより、経営重視、枠組み重視へと変化しているということ。ロッソの枠組みがひとつのモデルとして認められたということではないかとも思います。(ちょっと贔屓目ですが、それも枠組みに成功した成果でもあります)

その2…ミッションを背負った重い戦いに勝ったということ
これは今思えば非情でしかも重いミッションだったと思います。しかし、それを達成したという事実、結果が伴った。

当初この県民プロジェクトのJへの計画は、1年目九州リーグ、2年目JFL、3年目J2というものでしたね。いくらなんでもすごいスケジュールです。しかし、1年遅れましたが達成しました。今年は、もし昇格できれば後はなかったかもしれない…ですね。当初は、3年でだめなら“解散”という覚悟だったと聞いています。支援企業に対しても、そんな条件付き時限的なプロジェクトであると説明されていましたから・・・。

恐ろしいミッションです。そして、まず、このミッションの全責任を負って戦った監督の労を称えたいと思います。

そしてそれには結果論も含めて次の2点の成功を挙げたいと思います。

①地域決勝大会のカベを1回でクリアできたこと
やはりJへの昇格プロジェクトを語る場合に、地域決勝大会という、ある意味で理不尽なくらい厳しい、過酷な関門があること。過去の挑戦者がことごとくここで躓いた。いくつのチームが跳ね返され消えていったか。リーグ戦とはまったく違う一発勝負。歴史的にみても、この関門をどう越えていくかが、ほとんど9割くらいのウェイトを占めていたのではと。確かにこの年はJFLが16チームから18チームへと2枠増。プラス愛媛の昇格で計3枠の自動昇格という幸運があったことも大きいですが、それも勝ち上がっての話しですから。

このときのこと、ここへ向けてどうチームを作り、どういう準備、どういう戦いを構想していたのか。これを背負ったプレッシャーはどんなものだったのか。想像を絶します。

②選手獲得、チーム作りのコンセプトがあった。手腕があった。
不安定で未成熟な基盤の上で目立ったのは、全くのゼロからスタートし、きわめて短期間でチーム作りに目鼻をつけた選手獲得の手腕と、コンセプトの確かさでしょうか。限られた、未確定の予算のなかで、“買い”のタイミングも含めて素晴らしい手腕を発揮しました。初年度、伸びしろのある大学新卒や、年代別日本代表などの若い元Jリーガーをタイミングよく廉価で獲得した手腕とコンセプト。3年目の今年は、ベテランJリーガーの獲得・補強によりチームに落ち着きをもたらし、前シーズンの課題に対して確実に答えを出しました。このあたりはチーム作りのうえでのコンセプトがはっきりと示されていたと感じます。

“プロ”についての誤解
選手獲得のことを書いたついでですが、まず今期のロッソの3億弱という予算規模は、経営的にはどういったレベルなのか。以前、聞いた話しで、J2昇格前の徳島(大塚製薬)の年間予算が3~4億円だったそうです。もちろん、選手の移籍市場など、その当時と状況は激変していますが、予算だけでなく練習場設備や宿舎なども含めて、運営の基盤的なものは大企業チームに及ぶべくもなく、ロッソのそれはおそらく現在のJFLでは真ん中くらいなのではと想像します。この予算で、よくこの戦力を買い付けたとも言えるし、またこの戦力でよく戦ったとも思うし。自治体の支援で、優先使用できるとはいえ、練習環境などはまだ“プロ”のそれとは言い難いものもあります。

“プロ”なのになんで勝てない? ということがよく言われましたが、まだ、あり方のコンセプトとしての“プロ化”であり、サッカーをビジネスと考える意味での“プロ化”であって、まだまだ発展途上だったという理解をしたほうが実態に近いのではと思います。

課題…サッカーを知るフロントが必要だ  
最後に課題をひとつ。以前も書きましたが、“GM”の不在ということです。今回のチーム名騒動の原因も、元をたどればこのあたりに行き着いてしまいます。サッカーを知る、スポーツビジネスを知るGMの不在は、やはり解決すべき最も優先順位の高い課題だと思います。チーム発足からの流れのなかで、”正しい枠組み”と書いたものの、この1点だけは不完全といわざるを得ません。プロの監督(Jリーグでも通用するS級)を招聘することを優先課題にしたものの、GMについてはさて置かれた。

それはおそらく、会社内に将来のGMを自認する人物がいたこととつながるのでは・・・。その人はこのプロジェクトに関して主要な役割を果たしてきた。その功績も含めて、ある意味で将来的にその役割を担う意志と意図があったのではないでしょうか。しかし、彼はチームを去ることになった。AC熊本として、彼をそうしなかった・・・。われわれの分析はそこまでです。それがなぜなのか? 正直なところ分からないし、われわれがコメントするようなテーマでもないと思います。そして、だからその後も全体としてGMの役割は埋められていない。そこに現在の、そしてこれからの課題のひとつがあるのは間違いないと思います。


さてさて、久しぶりに長文を書いて肩が凝りました。とにかくこれから、ようやくかなった夢を存分に楽しんでいきたいと思っています。Jリーグという会社に入社した新社会人といった気持ちで。チームも会社も大きくステージを駆け上がった訳ですから、われわれファンも学生気分を卒業して、ステップアップしなければという気持ちです。アルエットのJFL開幕戦のとき旧サカくまに書いたとおり。「雨の日でも、寒いときも、負けが込んでも、スタジアムに行って、みんなで声援を送りましょう。 」ホームチームがある喜びを噛みしめて・・・。それがわれわれファンの努めであり楽しみだと思っています。

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