いつかはこんな日が来るだろうと思っていましたが、まさかこんな形で池谷氏が熊本を去ることになるとは思ってもいませんでした。ただ、6月の監督就任時の、「前回の”監督代行”のときとは違う」という永田会長の言葉や、「覚悟を持って」という池谷氏の決意を思い出すと、最終節のあの最悪な結末。もしかしたらと思わないでもなかった。

井芹さんの熊本蹴球通信に、永田会長の会見の全文が書き起こしてありますが、それによると池谷氏から辞任の申し出があったのは、大分戦当日の夜だという。しかし、「先月の末ぐらいから、彼とは週に1、2回ずつ、ずっと2人きりで話をしており」(永田会長)、「『潮時かな』という感じで」と言いますから、クラブとしてもこの熊本にとっての”貢献者を切る”場面は、実に阿吽の呼吸を必要としたのではないでしょうか。解任ではなく辞任。最低限の名誉は保たれた。

池谷氏が監督として招聘されたのは2004年。ただ、当時熊本にはJリーグチームを作るための「県民運動推進本部」という名の”ビジョン”が存在するだけで、選手どころかスタッフさえも満足にはおらず。プロチームあるいはプロクラブがどうあるべきで、何が必要か。そういったことを知る人材は、熊本にはひとりもいないような状況でした。「騙されたと思った(笑)」といつか池谷氏が言っていましたが、監督に専念するどころか、そういった一つひとつのことから、池谷氏にゆだねられたのです。

ロッソが出来て、それから現在のロアッソに至る歴史をここで今更書きませんが、JFLの初年度にJリーグに”昇格”できなかった時が、今思えば一番の危機でしたね。ファン、サポーターに留まらず県民全体からバッシングを受けた池谷氏。「もう帰ろうかとも思った」とあとで言います。あの頃、ホームチームやクラブは”与えられる”ものではないんだ。クラブと言っても、中身はまだ”スカスカ”なのに。もっとチームを、クラブを後押しして、擁護していかなければ…という思いが、こんな稚拙なブログを始めるきっかけでもありました。

昇格したあとも、クラブ作りに関しては、毎年毎年、足りないピースを埋めるような作業を必要としてきた。逆にいえばそこに関してもクラブは池谷氏の手腕に期待するしかなかった。当然、彼個人のサッカー界での経験や知己に頼らざるを得ない状況が続きました。

そこには色々な意味で”限界”も出てきたでしょうね。当時からの事情をよく知る熊日の上妻記者が、21日付の記事で「時には”池谷商店”とやゆされることもあった」と書いていますが、われわれの知る株主のひとりも、”池谷王国”と酷評していましたし、永田会長の会見でも「『このままじゃ大変なことになるぞ』という方もいらっしゃいました」と証言しています。

J2に入ってからの10年間の総括や、クラブとしての問題点を記者に問われて、「皆さんがご覧になってきているように、ちょっとマンネリ化しているんじゃないのか、とかですね、慣れが出ているんじゃないのかとか、本当の意味での戦う厳しさ、そういうものがちょっと薄れているんじゃないのかとか」感じていたと応えた永田会長。「(池谷氏も)勇退の時期ということを、10年目の区切りということもシーズン前から思っていたみたいです」と言う。

われわれが今心配しているのは、今後サッカー界とのパイプがどうなるかということです。まさしく次の監督は誰を呼べるのか。強化責任者は誰になるのか。全てのことを池谷氏に依存してきただけに、どうなるのか全く想像できない。池谷氏の”覚悟”も察知し、「1ヶ月ほど前から、こういうことももしかしたら想定されるかもしれないということを予感して」「何人かの方がリストアップされて」いたと永田会長は言う。しかし「リストアップはできているけれど、具体的な交渉には至っていない」というのが先週の時点でした。

監督が決まらなければ、強化責任者不在の今、選手の去就も定まらない。チーム作りが完全に出遅れ、来シーズンが見通せないこと。今の熊本は大きな試練にさらされています。

ただ、先の熊日の記事が「池谷氏がいなくなる今後、ここまで築いたものをさらに発展させることができるかは、クラブを取り巻くすべての人々に問われている」と結ばれているように、すべての人々、われわれファン、サポーター、スポンサー企業、行政にも、これを節目に、更にクラブを、チームを発展させることに何ができるかを問うことが、求められているのだと思います。

最後に、われわれからは池谷氏に、このエントリーを捧げます。2010年、柏がJ2に落ちてきて、水前寺で戦ったときのエントリー。当時はGMでした。

池谷GMが熊本に請われて赴任する際に、柏のクラブ幹部から「そこ(熊本)に“サッカー”はあるのか?」と問われたのだと言 います。もしかしたら、その時、GMは答えに窮したかもしれません。しかし、5年余りが経った今日なら、きっと、黄色のサポーターを取り囲むようにぎっしりと詰まった赤いスタジアムを指差しながら、胸を張って答えてくれたことでしょう。「もちろん。ここはサッカーがある街です」と。2010.04.25 柏戦。力の尺度

池谷さん。あなたが育ててくれたチーム、そしてわれわれファン、サポーターもあなたに育ててもらった。クラブ創設以来の試練の時ですが、この“サッカーのある街、熊本”のみんなで乗り切っていきたいと思います。熊本に来てくれて本当にありがとうございました。そして13年間お疲れ様でした。

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